佐藤一斎とその教えについて
 
 

  安永元(1772)年10月20日、江戸浜町の岩村藩邸下屋敷で、同藩士の次男に生まれ、幼少期より読書、作文、書道に励み、射・騎・刀・槍の武術、兵学、礼法など、文武両道の幅広い修養を身につけ、12、13才の頃には大人を凌ぐ力量を示していたと伝えられています。寛政2(1970)年に19才で岩村藩主松平乗保の近侍となり、寛政5(1793)年、22才で江戸の儒学の名門林家七代目大学頭林の信孝に入門、文化2(1805)年、34才の時に、ここの塾長に昇進。天保12(1841)年、70歳で幕府の儒官(昌平坂学問所の責任者で、今でいうと東大総長といったポジション)になりますが、その後は儒学の大成者、日本の儒学者の最高権威者として崇められました。  
 
安政6(1859)年9月24日没、87年の生涯は「三学」「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(言志晩録60条)」を自ら全うしたものでした。  
 その幅広い見識は幕府で扱う、「先知後行」の学問と言われた「朱子学」だけではなく、「知行合一」を旨とする「陽明学」にまで及び、又、鎖国時代には及びもつかないクローバルな考えも持っていて、ペリー来航時の「日米和親条約文」の指導にもかかわっています。  その教えは幕末から明治、更に今日に至るまでの日本人の生き方の指標になっており、幕末期の一斎の門下生の数は六千人を越えていたとも伝えれれていますが、一斎の教えを支えに、弱体化した幕藩体制を崩壊させ、諸外国の猛威から国を守れる、新しく力のある明治の文化国家を作り上げていくために、命をかけて闘った下記のような人たちがいました。

 
 


下記の人物名の右の●印をクリックすると上の16人がおよそどのような活躍をしたのかの要点が書いてあります。

01)西 郷 隆 盛 → 02)渡 辺 崋 山 → 03)山 田 方 谷 → 04)河合継之助 →
05)中 村 正 直 → 06)横 井 小 楠 → 07)吉 田 松 陰 → 08)佐久間象山 →
09)勝   海 舟 → 10)坂 本 竜 馬 → 11)久 坂 玄 瑞 → 12)高 杉 晋 作 →
13)木 戸 孝 充 → 14)伊 藤 博 文 → 15)山 形 有 朋 → 16)品川弥二郎 →

  佐藤一斎の教えは「言志四録」として残されており、この中は四十二歳から五十三歳の十年間に書かれた「言志録」、五十七歳から十年かけて書かれた「言志後録」、六十七歳から七十八歳までの凡そ十年かけて書かれた「言志晩録」、八十歳から二年間かけて書かれた「言志耋録(てつろく)」の四部構成になっていて、今でもリーダー研修のバイブルといった扱いがされていますが、もちろん一般の方の生き方の指針としても大いに役立つものです。  岬龍一郎氏は「言志四録」の現代語訳の中で「人は環境によってつくられるが、その環境をよい方へと変えてゆくのは、志を持った人間であり、人生をよくするも悪くするもこの志次第であることを、この「言志四録」は十分に教えてくれるはずだ。」と述べておられますが、心の荒廃が限界に達したとも言える今の日本の状況を考えた時、ここで皆で佐藤一斎の教えを読んで、生き方の原点を見つめ直し、地道な行動を積み重ねることが大切だと考えた次第ですが、ここで「佐藤一斎の教えによる三つつの歌」を歌詞の意味を考えながら歌っていただくのも、具体的な実践活動の一つだと思います。 (メールアドレス→
 

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